掃除とは「小さな死」であると思う。
寺では毎日徹底的な掃除をし
ホテルも前の客の気配が消えるほど掃除する。
清潔な部屋は他人の存在の「死」によって生まれる。
家庭では子供がお片付けを嫌がったり
家族を失った人がなかなか遺品の片付けができまなかったり。
昨日までの「生」が消えることに対する恐怖。明日それが消える恐怖。
毎日死んで毎日生き返る。
明日も生きてるんだからどうせ使うんだから、と
片付けられないのは
今日の自分が消えることの恐怖があるのではないかなあ。
なんてことを片付けを嫌がるおおおおきい息子「達」を見て思う。
しないんだよ。頑なに。埃が積もろうが何しようが。
小さな「死」を受け入れない彼らは戦闘ゲームが大好き、そして軍備賛成で
「戦争になったら俺も行って国を守る✨」という。
…行かれた方が迷惑だろお前ら、片付けもできねえのにw
家庭の平和も守れねえお前に何が守れんだよ💢
なんてことを出しっぱなしで埃まみれのものを退けながら掃除機をかけながら思う。
国という大きな組織でも、自分たちのやった悪さを掃除も出来ず
身内だけで隠して綺麗に掃除した風の連中が
憲法変えてまで戦争したくて準備してる。
あいつら自分の部屋掃除できんのかね??
片付けさせられるのはいつも「散らかした連中じゃない」んだよな。